あるスタッフが教育実習の話しをしたときに、
ひょんなことから特攻隊の話題になりました。
わたしの祖父は満州で師団を率いる立場の隊長でした。
私の祖父は私の小学校の卒業式というめでたい日に、
それを見届けるかのように、なくなりました。
祖父の生前のことを詳しく聞けなかったことが
今でもとても残念に思うときがあります。
ところが、祖父と同じ隊にいた通信将校が、
兵庫県の赤穂市に87歳ながら、ピンピンしております。
めったにいけないのですが、時々訪ねては、
よく戦時中の話を聞きに行きます。
その話は想像を絶するほど壮絶で、
涙しながら聞く私に、「命懸けとったで~。」
と豪快に笑いながら話してくれます。
「特攻隊」と聞くと、現代のほとんどの方は、
「『国のために死ね。』と無理やり教育され、
イヤイヤでも特攻機に乗らないと仕方なかった。」
と思うようです。
そのような話ももちろん、間違いではないのだと思います。
ただ、そうじゃない見方もあることを、
その通信将校の方から教わりました。
「特攻隊とは、子をもつ母のような心境なのだ。」と。
私は、現在塾で95名の生徒を預かっていますが、
みんな本当に一生懸命にがんばる生徒たちで、
とてもかわいい存在です。
この子達のためなら、自分の犠牲も厭わないところがあり、
それが裏目に出て、先月、医者に「白血病の可能性あり」
といわれてしまいました。血液検査の結果、ただ単に
肝臓を壊しているだけだったのですが。
そして、血のつながっている親であれば、
私より子供たちをいとおしく思うのは、よくわかります。
先の通信将校は、その母親の心境なのだというわけです。
戦前の日本には「修身」とい科目がありました。
これは、一昔前の道徳教育に似ていると言われますが、
つまり、身を修める。日本という社会に生まれて、
社会人として巣立っていく際に、どのように自身を
社会に貢献させるのかという考え方を育てる教科でした。
あやふやな個人主義が跋扈する現代の日本には、
参考になる話がいくつもあると私は思います。
http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/siso/shushin.html
その修身の教育を受けた青年たちが書いた手記を
私は父から15歳のときに与えられました。
「死にゆく二十歳の真情」という本です。
また、さまざまな資料を読み、祖父の元部下であった
通信将校の「母の心境」がよく理解できます。
自分が特攻して、米軍艦を沈めなければ、
上陸した米軍の餌食になってしまう。
日本の戦局がこれ以上悪化して、故郷の親兄弟、
親戚、近所の方々、学校や村の仲間の将来が
消えてなくなってしまうと思うわけです。
目の前に自分の子供が溺れていれば、
自分が泳げなくても、飛び込んで助けようとするのが、
子を持つ母の心情だとすると、
特攻隊の青年たちも、将来の日本に生きる
小さい弟や、その親たちのために、
そして、その故郷のために、「日本を守ろう!」
という気持ちが、特攻隊に志願させた。そういう面が
あることも、伝えていかなければいけないと思います。
これも「死にゆく二十歳の真情」に書かれていました。
ある高校生が、日本史の授業が始まるときに、
「また日本の悪口か」とこぼしたそうです。
これは戦後、GHQの指導により、戦争に負けた責任を
押し付けられたことと深い関係があります。
「歴史を学ぶ」ということは、現在の常識で過去を裁く
ためではありません。その当時の文化を学び、
背景を学び、歴史のターニングポイントで人物は
いかに考え、判断を下したのか?そして、そこから
学び、同じ過ちを繰り返さないためでもあります。
私は、城郭、寺院めぐりがとても好きで、
先日沖縄に出張で言った際も、2つの城跡を見学しました。
同じ場所で、同じように見える空、海、気候で、
数百年前の人々は何を思い、どのような生活をしたのか?
悠久の時空に思いをめぐらすのは、
とてもロマンにあふれることだと思います。
今回の京都研修会は、これから中学2年生が学ぶ予定の
豊臣秀吉の正室ねねの終焉の高台寺を回ります。
そこで、お抹茶の飲み方を学習し、
当時の人たちが興じた娯楽を学んだりします。
当時から変わらぬ建物で、当時の高貴な気分を
味わってもらいたいものです。
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